責任をとるは、辞職ではない
今回は「責任をとること」について書きます。
※責任感とは違います。
「責任をとる」
これを聞いて最初に思いつくのは「辞職している姿」です。
経営者・政治家・音楽家が不適切発言や行動、何か無礼をしたり、失態をしたりした後に辞職したり引退したりする。
いつも違和感を感じていました。
「責任とれ!」=「辞める」
なのだろうか…と。
物理的に責任追及されて「解任要求」される場合は株主総会や国会でもあるんだとは思いますが、ここでは自主的に辞めることを書いています。
ただ、「辞める」ことが「責任をとったこと」になるのでしょうか。
オーナーでなければ「辞める」のは結構簡単です。
少しの勇気があれば仕事やその責務を辞められます。
事の収拾のために「辞める」を選んでいるのかもしれませんが、
本当に「辞める」ことが正解なのでしょうか?
僕が考える「責任をとる」は、
その仕事を改めてやり直し、良い方向にもっていき、やりきる。
ということです。
つまりは失敗や過ちを認めて「辞めるから許してね」ではなくて
良い方向にもって行き直すことが「責任をとること」ではないでしょうか。
辞めたから終了!!というスタンスに異様な違和感を感じる。
また、その意味では誰にも責任なんて取れないのではないかとも思います。
そもそも責任ってなんだ?って思います。
責任…wiki
日ごろ、責任に押しつぶされそうになることもありますが、逆に責任があるから面白かったりもします。
きちんとやりきらないといけないと感じつつ、自身の将来についても考えて責任を果たしていかないといけないと最近感じています。
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